
司法書士の杉原です。
8月10日(土)に、地元の明石商工会議所で司法書士による無料相談会がありました。この相談会自体は定期的に開催しているもので、今月は当番の相談員として参加してきました。
同日に同じ建物内で、地元法務局の統括登記官・遺言書保管官が講師を務められたセミナー(相続登記義務化・遺言書保管制度に関するセミナー。終わった後に個別相談会あり)も開催されており、そちらも盛況だったようです。
こういった機会があると、既に発生した相続や、これから発生する相続について、ご心配ごとやお困りごとを抱えた方は、たくさんいらっしゃるのだということを改めて実感します。
さて、こういった相談会の場に限りませんが、司法書士として相続や生前対策などのご相談をお聞きしている際、「遺言書を法務局に預けられるようになったと聞いたけど、あれってどうなの?」というようなご質問をいただくことがままあります。
この「遺言書を法務局に預ける制度」というのは、正式名称を「法務局における自筆証書遺言書保管制度」といい、令和2年7月10日から運用が開始されたものです。
制度の運用開始から4年ほど経ち、いまだ利用件数はそこまで大きくは伸びていないというのが現状のようですが、法務局による広報の甲斐もあってか、少しずつ認知度が上がってきているなという印象です。登記事項証明書などを取りに法務局に行くと、必ず目に入るようなところにポスターが貼ってあったりしますよね。
1.一般的な自筆証書遺言書作成の工程
この制度を利用しない場合は、自筆証書遺言書の作成は概ね次のような工程で進むことが多いかと思います。
① 資料収集・財産関連資料の棚卸し
…戸籍謄本、住民票などの取得、財産関連資料(不動産の登記事項証明書、預金通帳など)の整理
② 遺言書の文案作成
③ 下書き・清書
上記の通り、遺言書として完成した時点(本文を書き終わり、日付を入れて署名・捺印した時点)で終了となります。
なお、一般的には、特に遺言書が複数枚にわたる場合、全体で1通の遺言書であること(=第三者が一部を破棄したり、偽造して追加・差替えをしたりしていないこと)を示すために、ホッチキスで合綴したり、契印(割印)したり、封筒に入れて封印を施したりすることも多いかと思いますが、これらの処理(合綴・契印・封印など)は、いずれも主として後日に疑義を生じさせないようにとの意図で行われるものであり、有効な自筆証書遺言書とするために法律上必要とされているものではありません。
2.自筆証書遺言書保管制度を利用する場合の工程
他方で、自筆証書遺言書保管制度を利用する場合は、上記①~③に加えて下記の工程が必要となります。
④ 遺言書保管申請書の作成と添付書類の準備
⑤ 法務局の予約
⑥ 法務局窓口で申請
法務局で申請が受理されて「保管証」が交付されたら、晴れて手続終了となります。
正式に自筆証書遺言書が法務局で保管されるようになると、遺言者本人は自身による紛失や第三者による偽造、変造、破棄などのリスクがなくなり、自信が亡くなった後は遺言書の存在や内容が関係当事者に通知されることになるというメリットを享受できますし、残されたご家族や受遺者となる方(遺贈によって財産を受け取る方)にとっても、遺言者が死亡した後に、家庭裁判所における遺言書の検認手続が不要になるなどのメリットがあります。
3.自筆遺言書作成前に確認すべきこと
まず、自筆証書遺言書保管制度の利用を念頭に置いて自筆証書遺言書を作成される場合は、事前に、法務局が公開している「遺言書保管申請ガイドブック」を通読されることをおすすめします。
【遺言書保管申請ガイドブック】掲載ページ
https://www.moj.go.jp/MINJI/02.html
このガイドブックは非常に読みやすく、視覚的にも理解しやすい構成となっていますので、法律専門家でなくても頭に入ってきやすいつくりになっているかと思います。
ちなみに、自筆証書遺言が法律上(民法上)有効なものとして扱われるための各要件(自書、日付、押印)や自書によらない財産目録を用いる場合の署名押印、誤字脱字がある場合の訂正方法などについてもわかりやすく記載されているので、自筆証書遺言書保管制度の利用を前提としなくても、自筆証書遺言の作成の手引きとしても参考になります。
ガイドブックを読めば分かる通り、自筆証書遺言書保管制度を利用するためには、自筆証書遺言書自体が、一般的な自筆証書遺言書の作成ルール(民法上のルール)のほかに、下記のルールを守って作成されていなければなりません。
☑ A4サイズの用紙を使用していること
☑ 用紙に文字の判読を妨げるような地紋、彩色等がないこと
☑ 片面にのみ記載があること
☑ 所定の余白が設けられていること
☑ 合綴していないこと
☑ 封印(封緘)していないこと
これらを「遺言書を書き始める前」「下書き・清書」「書き上げた後、保管申請まで」の各段階における注意事項として整理すると、下記のようになります。
遺言書保管制度の利用を予定している場合や、後日遺言書保管制度を利用する可能性がある場合には、これらの注意事項を遵守しなければなりません。
■ 遺言書を書き始める前の段階
・要件に合致する用紙を準備すること。
(A4サイズであることは必須。白色無地のものが無難。罫線はあってもよい。)
■ 下書き・清書する段階
・所定の余白を確保すること。
・片面にのみ記入する(=裏面には記入しない)こと。
・契印(割印)しないこと。
なお参考までに、司法書士サプライセンターさんで取扱いのある「自筆証書遺言書・原稿用紙(文章罫あり)」は、A4サイズであることは当然として、余白についても枠線で明示してあるため、こういった専用の用紙を使用して、いちいち余白などを気にしなくてもよいようにするというのも一案です。厚みもあるしっかりとした紙なので、長期間の保管にも耐えられそうです。(感覚的に、こういった専用の用紙でなくても、よほどギリギリまで書かなければ余白の問題は自然とクリアできるようには思いますが。)
■ 書き上げた後、保管申請するまでの段階
・複数枚ある場合でも、合綴しないこと
・封印(封緘)しないこと
なお、「合綴」については、仮にやってしまったとしても保管申請までに外せばリカバリーは可能かと思います。
「封印(封緘)」については、政令2条2号が「当該申請に係る遺言書が、法第1条に規定する遺言書でないとき、又は法第4条第2項に規定する様式に従って作成した無封のものでないとき。」を保管申請の却下事由として挙げていますので注意が必要です。ただ、保管申請まで(窓口に出すまで)に気づいて開封すればリカバリー可能かと思います。
ところで、余白とすべき部分に契印(割印)がかかってしまっている場合は… どうなるんでしょうね。
自筆証書遺言書保管制度を利用する際に、遺言書に所定の余白を設けることとされている趣旨は、主に遺言書がスキャンデータとして保存されることとの兼ね合いと思われます。
どういうことかというと、まず、法務局に自筆証書遺言書の保管申請をした場合、原本が法務局保管となるほか、スキャンデータとしても保存され、原本は50年、スキャンデータは150年保存されることとなっています。
そして、遺言者が亡くなった後に、法務局に遺言書が保管されていることを知った相続人等が請求すると、法務局から「遺言書情報証明書」という証明書が発行され、これが「検認済証明書付自筆証書遺言書」に代わるものとして相続手続で使用できるということになりますが、この証明書の一部として遺言書のスキャンデータがそのまま(等倍で)用いられて出力されたり、余白部分(下部)に整理番号や保管番号の表示が入って印刷されたりすることとの兼ね合いで、自筆証書遺言書保管制度を利用する場合には、遺言書に所定の余白を設けなければならないとされているものと思われます。用紙のギリギリのところまで記載があったり、押印がかかっていたりすると、証明書にしたときに切れてしまいますので。
前述の通り、契印(割印)自体は、遺言書の効力という観点からは「あってもなくてもよいもの」という位置づけです。そのため、契印(割印)が余白とすべき部分にかかっていても問題ないとされる可能性もあるように思われますが、もし法務局側で「余白とすべき部分に契印(割印)がかかっているため保管申請不可」と判断されてしまった場合は、再度遺言書を作成しなおして、保管申請もやり直しになってしまいます。このような疑義を生じないようにするためには、余白とすべき部分には何も記載されておらず、契印(割印)の印影もかかっていないこと、もっと言えば、契印(割印)自体がなされていないことが望ましいのは言うまでもありません。
なお、遺言書を書き上げた後、法務局に保管申請をするためには、必ず遺言者本人が窓口に出向かなければならず、また、その場でマイナンバーカード、運転免許証、運転経歴証明書、旅券(パスポート)、在留カード、特別永住者証明書などの顔写真付きの公的身分証明書(有効期限のあるものについては、有効期限内のもの)を提示して本人確認を受けなければなりません。
このため、そもそも健康上の理由等によって法務局の窓口に出向くことができない方はこの制度は利用できませんし、遺言者が顔写真付きの公的身分証明書を所持していない場合(本人確認書類として提示できるものが健康保険証や社会保険被保険者証などしかない場合)は、事前にマイナンバーカードの交付申請を行うなどして顔写真付きの公的身分証明書を入手しておかなければなりません。
自筆証書遺言書保管制度を利用したいという方は、比較的(残された)時間にまだ余裕がある方が多いのではないかと推察しますが(遺言者本人が窓口に行かなければならないことから、本人に死期が迫っているなど急迫の事情がある方で、この制度を利用したいというニーズはさほど多くないと思われます)、スムーズに手続を進めるためにはこういった点についても事前に確認しておくとよいでしょう。
4.落とし穴(受遺者の住所の必要性)
さて、ここまで自筆証書遺言書保管制度の利用を念頭に置いた場合の注意事項をいくつか挙げてきましたが、個人的に「落とし穴」だなと思った点があります。
それは、保管申請しようとする自筆証書遺言書に受遺者(=遺贈によって財産を取得する人)の記載があるときは、保管申請書に
ちなみに、申請書には生年月日を記入する欄もあるのですが、生年月日については「不明」としても差し支えありません(申請書に「不明」という選択肢があります)。
その他の細かい注意事項については、「遺言書保管申請ガイドブック」を確認してみてください。遺言書自体の作成にかかる注意点については16ページに、保管申請時の必要書類等については26ページにチェックリスト形式でまとまっていますので最低限この部分は目を通しておきたいところです。
ただし、受遺者については、少なくともガイドブックのうち「ステップ1 遺言書を作成する」の部分(8ページから16ページまで)のところには
・(遺言書の記載例②)「推定相続人の場合 『相続させる』又は『遺贈する』と記載します。『遺贈する』とした場合は、申請書に受遺者として記載する必要があります。」(ガイドブック11ページ左側)
・(遺言書の記載例③)「受遺者の記載 推定相続人以外の者には『相続させる』ではなく『遺贈する』と記載します。申請書に受遺者としての記載が必要です」(ガイドブック14ページ右側)
・(まとめ)「□1 推定相続人以外の者に対しては、『相続させる』ではなく『遺贈する』と記載します。受遺者等は、申請書に記載する必要があります。」(ガイドブック16ページ下段)
申請書に受遺者の住所を記載する必要がある
(=受遺者の住所が判明していなければならない)
ということが見落とされやすいのではないか、と思います。
もちろん、遺言書保管法の条文を引けば分かることではありますし(根拠条文は前掲のとおり)、ガイドブックの「ステップ2 申請書を作成する」(18ページ以下)の細かいところまで事前に目を通していれば、少なくとも申請書に受遺者の住所を記載するところがあるなということは分かります。
さらに言えば、事前に保管申請書の雛形をダウンロードしておいて、早い段階である程度申請書を埋めてみておけば、このことは自ずと判明するのですが、ここまで詳細かつ親切なガイドブックがありながら、そのガイドブックの申請書作成の細かいところまで読み進めないと「受遺者の住所が判明していないと自筆証書遺言書保管制度は使えない」(より正確には、「受遺者の中に住所が判明していない人が一人でもいる場合には、自筆証書遺言書保管制度は使えない」)ということが分からないというのは、どうも不備というか、不親切ではないかと感じるところではあります。
■ なぜ受遺者の住所の記載が要求されているのか
前述の通り、申請書には受遺者の住所氏名のほかに生年月日を記入する欄があるのですが、生年月日については「不明」として差し支えありません。
このように、自筆証書遺言書そのものを作成するにあたり、受遺者の住所は生年月日等と同じく受遺者の特定事項の一つ(にすぎない)という位置づけでありながら、保管申請書の作成の場面では住所については記載必須とされているのは、自筆証書遺言書保管制度における「関係遺言書保管通知」との関係によるものと思われます。
【自筆証書遺言書保管制度における通知について】
https://www.moj.go.jp/MINJI/10.html
関係遺言書保管通知は、遺言書保管所に保管されている遺言書について、遺言者死亡後、関係相続人等が、(1)遺言書の閲覧や(2)遺言書情報証明書の交付を受けたとき、その他全ての関係相続人等に対して、遺言書保管官が、遺言書が遺言書保管所に保管されていることをお知らせするものです。(前掲法務省ウェブサイトより引用)
この「関係相続人等」のうち、遺言者の死亡時点における法定相続人については、法務局側で戸籍の情報等を調査した上で住民登録上の住所に通知がなされるので、その氏名住所を申請書の内容としていなくても、支障なく通知を送付することができます。
これに対して、受遺者については基本的に法定相続人でないことが想定され、こうなると法務局側の調査では住所を特定することができませんから、遺言者が保管申請時点で受遺者の正確な住所を法務局に伝えておく必要がある、という理屈なのだろうと考えられます。(ガイドブックには、「遺贈する」とされた人はたとえ法定相続人(推定相続人)であっても受遺者としてその住所氏名を保管申請書に記載しなければならない、ということが書かれています。)
なお、同じ法務省ウェブサイトの別のページ(URLは下記参照)でも解説されていますが、遺言書保管所に自身の遺言書を預けている遺言者は、以下の①②について変更が生じた場合は、速やかに遺言書保管所(=法務局)に届け出なければならないとされています。
① 遺言者自身の氏名、出生の年月日、住所、本籍(又は国籍)及び筆頭者
② 遺言書に記載した受遺者等・遺言執行者等の氏名又は名称及び住所等
【遺言者の手続(変更の届出等)について】
https://www.moj.go.jp/MINJI/02.html
■ 住所の証明書として受遺者の住民票等の提出は必要か
ここまで縷々述べてきたとおり、保管申請書には受遺者の住所氏名を記載しなければならないとされていますが、ではその住所について住民票の写しなどの裏付けとなる資料を提出しなければならないかというと、そういったもの(住所の証明書)については求められていません。
これは最初に保管申請書を提出する場合だけでなく、受遺者の住所等に変更が生じた場合の変更届出においても同様とされています。
■ そもそも自筆証書遺言書作成にあたり受遺者の住所の確認は必須か
いったん自筆証書遺言書保管制度のことを離れて、自筆証書遺言書そのものを作成するために必要な情報(あるいはその自筆証書遺言書に基づいて遺言執行をするために必要な情報)のことを考えてみますと、少なくとも受遺者の住所は、自筆証書遺言書作成にあたって必ずしも正確に把握できていなければならない情報ではないと考えられます。
とりわけ受遺者が親族(例:甥姪、いとこなど)である場合には、遺言書に受遺者の氏名が正確に記載されており、氏名の他にもう一点、続柄や生年月日の(正確な)記載があれば、遺言者(被相続人)の戸籍からたどって受遺者を問題なく特定でき、戸籍の附票を取得することでその住所も調査できるため、後日の遺言執行にも支障はないと考えます。
なお参考までに、同ガイドブックには遺言書の記載の注意事項として「人物の特定」という項目が挙げられていますが、「氏名のほか、生年月日、肩書、住所等のいずれかで人物の特定ができるように記載しましょう。」とあり(ガイドブック11ページ左側)、「氏名+肩書(続柄)」又は「氏名+生年月日」のいずれかで特定できる限り、正確な住所の把握や記載は必須ではないと読めます(し、実際にそういう趣旨であろうと思われます)。
■ 公正証書遺言の場合はどうか
公正証書遺言の場合はどうでしょうか。
https://www.koshonin.gr.jp/notary/ow11
上記の日本公証人会連合会のQ&Aには、遺言者本人の確認書類以外に必要な書類として、「② 受遺者(遺言者の財産の遺贈を受ける者)の住民票、手紙、ハガキその他住所の記載のあるもの」とあり、その説明欄には「遺言者の財産を相続人以外の者に遺贈する場合は、その受遺者の戸籍謄本ではなく、住民票、手紙、ハガキその他住所の記載のあるものをご準備ください。それが困難な場合は公証人にご相談ください。(以下略)」とあります。
公正証書遺言の場合は、もちろん最終的には担当公証人の判断となりますが、受遺者の住所を遺言書に記載できない場合でも、作成の余地はあるように思います。
とりわけ、受遺者が推定相続人以外の親族の場合であって、氏名の記載が正確であり、かつ続柄や生年月日等の記載から受遺者の特定事項として足りており、後日の遺言執行の際に特段支障とならないものと判断されれば、少なくとも受遺者の住所が不明であるため公正証書として作成できないと常に「足切り」がされるというわけではないと思われます。
■ その他申請書に住所の記載が必要となる登場人物はいるか
受遺者と同じく遺言執行者についても、申請書に氏名住所を記載する必要があります。
ただ、たとえば遺贈部分について受遺者を遺言執行者に指定する場合には、そもそも受遺者として住所の記載が必須であるため遺言執行者としての記載が別途問題になることはありませんし、遺言書作成を支援した司法書士が遺言執行者として指定されるような場合には、住所の記載に特段の問題は生じません。
また経験上も、(単に私の個人的な感覚にすぎませんが)受遺者以外の人を遺言執行者に指定する場合で、遺言者が、その遺言執行者として指定する人の住所を把握できていないということはあまり多くないように思われます。この意味で、本記事は「受遺者の住所が必須」という点にフォーカスした内容としています。
なお、前記「■なぜ受遺者の住所の記載が要求されているのか」のところの内容とも一部重複しますが、受遺者・遺言執行者については申請書に住所氏名の記載が求められるのに対して、推定相続人については申請書に住所氏名の記載は不要とされています。
あと、受遺者・遺言執行者以外にも申請書に住所氏名の記載が求められる人は存在します。遺言の中で認知・廃除・祭祀主催者の指定・未成年後見人の指定等がされている場合など、遺言事項に(やや)特殊な内容が含まれる場合や、遺言者に信託財産がある場合などには、法9条2号・3号などの条文を精査して、申請書に住所氏名の記載が必要となる人がいるかどうかを確認しておく必要があります。
■ 予備的遺言における受遺者もここでいう「受遺者」にあたるか
予備的遺言における受遺者(予備的受遺者とでもいうのでしょうか)も、ここでいう「受遺者」に当たるため、予備的遺言における受遺者についても、全員の住所(氏名)を申請書に記載しなければならず、予備的受遺者の中に一人でも住所が把握できていない人がいる場合は、自筆証書遺言書保管制度は使えません。
この点については、ガイドブック等には(私が見た限り)明確な記載はなく、また先例等で言及されているのかどうかも本記事執筆時点で調べ切れていないのですが、法務局に指摘された点であるので、少なくとも本記事執筆時点(令和6年8月)の情報としては、間違いないかと思います。
【疑問点】
ところで、遺言書の記載上、予備的遺言における受遺者を氏名・続柄・生年月日等で特定せず、「万が一(受遺者)Aが遺言者よりも先に又は遺言者と同時に死亡していたときは、前項においてAに遺贈するとした財産をAの法定相続人に法定相続分の割合で遺贈する」等とした場合、申請書には何を記載するのでしょうね。
素直に考えると、受遺者として、Aのほかに保管申請時点におけるAの法定相続人の住所氏名を記載するということになるのでしょうが、これ、法務局側としても遺言書の記載と受遺者の住所氏名の関係がわかりませんし、そもそもこのような記載は一般的に、遺言者の死亡時点におけるAの法定相続人が遺言書作成時点とは異なる構成になることが相当程度予想される場合に用いられるものなので、仮に申請書に分かる範囲の受遺者の氏名住所を記載したとしても、死亡時点における受遺者の住所氏名とは一致しないことが多いのではないでしょうか。
このように受遺者自体に変更が生じた場合も、「受遺者の住所氏名に変更が生じた場合」に含まれるものとして、遺言者に変更届出の義務が生じる(政令3条1項、法4条4項3号)ものと思われますが、義務とはいいつつ、その履行が何らかの方法で担保されているというわけではありませんし、遺言書に受遺者として記載したからといって受遺者が結婚したり子どもが生まれたり住所が変わったりするたびに遺言者に変更届出義務を課すというのもなかなか非現実的であるように思います。
■ 実際のところ住民票等が入手できない場合はどうすればいいのか
受遺者の住所は住民票等に基づいて正確に記載することが推奨されている一方で、前述の通り住民票等を根拠資料(証明書類)として提出することまでは求められていません。
このため、実際のところ、遺言者において受遺者の住民票等の記載を確認しないまま保管申請が行われるということも制度上当然に想定されているというべきであり、仮に遺言者が受遺者の住所地をある程度正確に把握できていたとしても、通知はうまくいかなかったということも起こり得ると思われます。
たとえば、本来であれば申請書に住民票等の記載に基づき「明石市樽屋町1-1○○マンション○○号室」などとマンション名や部屋番号まで記載すべきところ、住民票等が手に入らず、ただマンションの所在までは分かっていたことから申請書には「明石市樽屋町1-1○○マンション」までを記載して申請した結果、いざ法務局が通知書を送付する際には部屋番号が書かれていないために郵便局による配達が行われず、受遺者のところに通知が到達しないということはあり得るでしょう。
また、仮に申請時点における住所が正確であっても、その後の変更届出ができていないことによって結局通知書が届かなかったという事態も容易に想像されるところです。
このようなところまで考えを進めてみると、受遺者の住民票等が入手できず、正確な住所がわからない場合に、そのことのみを理由として自筆証書遺言書保管制度の利用自体を諦めるというのはあまりに勿体ない話のように感じてしまいます。(3,900円の手数料で、後日の遺言書検認申立が不要になるというのはやはり魅力的です。)
そこで色々と考えたり聞いてみたりしましたが、結論としては、現状、受遺者の住所として遺言者自身が「これだ」と思っているものを記載できないのであれば、自筆証書遺言書保管制度は利用できないといわざるを得ません。
私もさすがに司法書士としての立場上、架空の住所や虚偽の住所であることを知りつつ記載して保管申請を行うことは全く勧められません。申請書に記載した受遺者の住所は、単に法務局に保管されるだけでなくその記載がそのまま「遺言書情報証明書」に載りますので、故意に架空の住所や虚偽の住所を記載した場合は、公正証書原本不実記載等罪の構成要件に該当しかねないのでは、ということは心配になります。
法務局の回答も、あくまで「受遺者のうち一人でも住所がわからない人がいれば、自筆証書遺言書保管制度は使えません」というものでした。
なお、あわせて法務局に確認しましたが「東京都」や「東京都○○区」など分かるところまでで記載を止めるのもダメ(受理できない)とのことです。
書面照会等に対する正式な回答としてもらったわけではありませんが、行政区画までの記載であると、通常これをもって「住所の記載」をしたもとのは認められない、というのがその理由のようです(これ自体は理解できます。私も逆の立場ならそう答えます)。
ただし、「東京都○○区1番1号」など現実に存在しない住所になっている場合や、たとえば官公庁の庁舎など現実に住居となり得ないような建物の所在地と同一の表記となっている場合であっても、記載された住所については法務局側では一切確認を行わないので、一応それらしい住所の体裁になっていれば申請は受理せざるを得ないということのようではありました。
5.おわりに(意見)
長々と書きましたが、正直なところ私はどうしても現状の取扱い(受遺者の中に一人でも住所が把握できていない人がいる場合は、自筆証書遺言書保管制度は使えないという取扱い)が合理的であるとは思えません。
受遺者等の住所が申請書の記載事項(原則として記載すべき事項)となるのは理解できますが、仮に住所不明であったり分かるところまでで止まっていたりする場合であっても、制度利用の余地を残してほしいものです。そのような場合は、遺言者本人に「ここの住所が不明であったり記載が不正確であったりすると、あなたが亡くなった後に法務局から送付される通知がこの人にはうまく届かない可能性がありますよ」と教示し、住民票等に基づいて正確な記載をするのが望ましいことを指摘すれば足りるではないでしょうか。
もし、この点の不備のみをもって申請を却下する(取下げを促す)ほどに、受遺者の正確な住所を法務局に把握させることが自筆証書遺言書保管制度の運用上重要なことだと考えているのであれば、住民票等の根拠資料(証明資料)の添付を求めず、また変更の届出について何ら履行の担保となるような措置が採られていないこととの整合性がないように感じます。
とりわけ、後日の遺言執行の場面において受遺者の特定や通知に不都合のないように、
(ア)わざわざ遺言において遺言執行者として司法書士・弁護士等の専門職を指定し
(当該遺言執行者の住所氏名については申請書に正確な記載がある)、
(イ)死亡時通知の送付先も当該遺言執行者としているような場合であって、
(ウ)なおかつ受遺者が甥姪等の親族であり、後日遺言執行者言において受遺者を特定するのに支障がない程度に遺言書本文に特定事項(氏名+続柄など)の記載があるような場合 にまで、
「(それらしき)住所の記載がないこと」という申請書の不備をもって保管申請を却下する(取下げを促す)必要があるとまでは思えないのです。
もちろん、自筆証書遺言書保管制度においては、制度のたてつけとして遺言書本文の内容は(法律上の有効要件を除いて)法務局における審査の対象とならないということになっていますので、上記(ウ)については考慮できないということになるのでしょうが…。
「関係遺言書保管通知」は、自筆証書遺言書保管制度に特有のものであり、それ自体は便利な仕組みではあるとは思います。ただ、そのために「受遺者の住所を申請書に記載しなければならない」という制度設計を採用し、またこのルールを硬直的に運用することで、せっかく制度利用を希望した国民から利用の機会を奪ってしまうような事態が生じてはいまいか、と疑問に感じます。
制度全体のバランスや整合性、また制度としての利便性や柔軟性を確保するという観点から、もう少し柔軟な運用がなされるよう、見直しが行われることを期待します。
